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この記事の要点

先に、全体像をつかむ

彦島はなぜ「彦島」と呼ばれるのか。『日本書紀』にも登場する古い地名の由来から、長府藩領だった江戸時代、下関戦争と吉田松陰・高杉晋作、工業化が進んだ明治・大正、下関市に編入された昭和、橋でつながり発展した戦後、そして令和の今まで。彦島の歩みを時代ごとに紐解きます。

  1. 彦島の名前の由来|「引島」から「彦島」へ

    彦島に関する地名は、『日本書紀』の「仲哀紀」に「引島(ひきしま)」と記されているのが最も古い記録とされています。

  2. 江戸時代|長府藩領となった彦島

    江戸時代前期、彦島は小倉藩の領地でした。転機となったのは元和6年(1620年)のことです。長府藩主・毛利秀元と、小倉藩主・小笠原忠政(のちの忠真)との話し合いにより、彦島と門司の領地が…

  3. 幕末|下関戦争と彦島砲台、吉田松陰・高杉晋作

    彦島の歴史が大きく動いたのが、幕末の下関戦争です。異国船を迎え撃つため、彦島には田の首砲台・相図場砲台・山床砲台・弟子待砲台の合わせて4つの砲台が設置されました。

彦島の歴史を紐解く|「引島」から「彦島」へ、江戸から令和までの歩み

関門海峡を望む砲台に見立てた、彦島の幕末期をしのばせるイメージ
関門海峡を見守った彦島の幕末(イメージ)

彦島には、意外と知られていない長い歴史があります。「なぜ彦島という名前なのか」「昔はどんな島だったのか」——普段何気なく暮らしている土地にも、江戸、明治、大正、昭和、平成、そして令和へと続く、たくさんの物語が刻まれています。

今回は、彦島という地名の由来から、長府藩領だった江戸時代、下関戦争の舞台となった幕末、工業化が進んだ明治・大正、下関市の一部となった昭和、橋で本土とつながり発展した戦後、そして現在まで、彦島の歴史を時代を追ってご紹介します。

※上記の年代や出来事については、文献によって異なる解釈(諸説)が存在します。

彦島の名前の由来|「引島」から「彦島」へ

彦島に関する地名は、『日本書紀』の「仲哀紀」に「引島(ひきしま)」と記されているのが最も古い記録とされています。

「引島」という名前の由来には、いくつかの説があります。ひとつは、かつて彦島が小瀬戸(おぜと)を挟んで対岸の伊崎地区と陸続きだった頃、急な潮流が流れ込み、彦島が伊崎に「引っ張られている」ように見えたことから名付けられたという説です。もうひとつは、彦島には高い山がなく、「低い島」を意味する「ヒクシマ」が転じて「引島」になったのではないか、という説です。

その後、「引」という字が武事において忌み言葉とされたことから、「彦島」という表記に改められたと伝えられています。今、私たちが目にする「彦島」という地名の背景には、こうした古代からの言い伝えが息づいています。

江戸時代|長府藩領となった彦島

江戸時代前期、彦島は小倉藩の領地でした。転機となったのは元和6年(1620年)のことです。長府藩主・毛利秀元と、小倉藩主・小笠原忠政(のちの忠真)との話し合いにより、彦島と門司の領地が交換され、彦島は長府藩領となりました。以来、彦島は長門国豊浦郡の一部として位置づけられます。

海に囲まれ、関門海峡という交通の要衝に面した彦島は、藩政期を通じて海上交通や漁業と深く関わりながら、静かに歴史を積み重ねていきました。

幕末|下関戦争と彦島砲台、吉田松陰・高杉晋作

彦島の歴史が大きく動いたのが、幕末の下関戦争です。異国船を迎え撃つため、彦島には田の首砲台・相図場砲台・山床砲台・弟子待砲台の合わせて4つの砲台が設置されました。

嘉永2年(1849年)には、後に明治維新の思想的支柱となる吉田松陰が、彦島の砲台を視察に訪れたと伝えられています。彦島が、幕末という激動の時代の最前線のひとつであったことがうかがえる逸話です。

下関戦争後の講和交渉では、彦島を租借地として外国に引き渡す案が浮上しました。しかし、長州藩の高杉晋作がこれを強く拒み、彦島は外国の租借地となることを免れたとされています。もし高杉晋作がこの案を受け入れていたら、彦島の——そして日本の——その後の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

明治時代|村制の始まりと工業化の第一歩

明治に入ると、彦島の行政区分にも変化が訪れます。明治12年(1879年)には赤間関区の一部となり、明治22年(1889年)の町村制施行により、彦島村が誕生しました。

彦島の産業史における大きな一歩となったのが、明治33年(1901年)、日立造船の前身にあたる大阪鉄工所の彦島工場が設立されたことです。それまで半農半漁の島だった彦島に、本格的な工業化の波が訪れました。

大正時代|化学工業の発展と町制施行

大正時代は、彦島が化学工業の一大拠点として発展していく時期です。大正5年(1916年)、鈴木商店が彦島西山に亜鉛精錬工場を建設し、これが彦島西山地区における化学工業の始まりとなりました。

大正10年(1921年)には町制が施行され、豊浦郡彦島町が誕生します。翌大正11年(1922年)にはクロード式窒素工場が稼働し、第一次世界大戦の影響で輸入が途絶えていた硫安(硫酸アンモニウム)の製造に成功。さらに大正13年(1924年)には、1000気圧という当時としては高圧の環境下でアンモニア合成が始まりました。これは日本国内でも早い時期の取り組みだったとされています。

昭和時代(戦前)|下関市への編入と本土との連絡

昭和に入ると、彦島は化学工業のさらなる発展と、行政上の大きな転機を迎えます。昭和6年(1931年)には、鈴木商店から経営を引き継いだ三井鉱山が、日本初の合成メタノール工場「昭和肥料」を彦島に設立しました。

そして昭和8年(1933年)3月20日、彦島町は下関市に編入され、現在まで続く「下関市彦島」としての歩みが始まります。

本土との往来も、この時期に大きく変わりました。昭和11年(1936年)には閘門が完成し、彦島は徒歩で本州側と行き来できるようになります。翌昭和12年(1937年)には、彦島と対岸を隔てていた小瀬戸の一部が埋め立てられ、彦島は人工の陸繋島となりました。

昭和時代(戦後)|橋でつながり、発展する彦島

戦後の彦島は、橋によって本土との結びつきをさらに強めていきます。昭和23年(1948年)には関彦橋が完成し、自動車での通行も可能になりました。

その後、関彦橋の渋滞解消を目的として、昭和47年(1972年)に彦島有料道路(彦島大橋)の建設が着工します。長さ710メートル、主橋部236メートルのこの橋は、昭和50年(1975年)に完成。当時としては最大規模のコンクリート橋として、彦島の新たな玄関口となりました。

産業面では、昭和49年(1974年)に南風泊市場が開設され、全国唯一のふぐ専門市場として、下関のふぐ食文化を支える存在になっていきます。工業・漁業・生活基盤が重なり合いながら、彦島は戦後復興と高度経済成長の時代を歩んできました。

平成時代|生活基盤の充実

平成に入ると、彦島の生活基盤はさらに整えられていきます。昭和50年から有料道路として供用されてきた彦島大橋(彦島有料道路)は、平成17年(2005年)9月30日に無料開放されました。これにより、本土と彦島を結ぶ移動は、より身近なものになりました。

令和時代|新たな未来へ

令和になった今も、彦島の歩みは続いています。令和4年(2022年)には、彦島の未来を地域とともに考える「彦島活性化推進協議会」が設立されました。

そして令和7年(2025年)12月、彦島と北九州市小倉北区を結ぶ「下関北九州道路」の都市計画が決定。江戸時代から幾度となく関門海峡とともに歩んできた彦島にとって、新たな交通の歴史が、まさに今、刻まれようとしています。

彦島の歴史を、これからも

「引島」と呼ばれた古代から、長府藩領だった江戸時代、下関戦争の舞台となった幕末、工業化が進んだ明治・大正、下関市の一部となった昭和、橋でつながり発展した戦後、そして令和の新たな道路計画まで。彦島には、一つひとつの時代が積み重なった、豊かな歴史があります。

彦島活性化推進協議会では、こうした彦島の歴史や地域の魅力を、これからも分かりやすくお伝えしていきます。彦島に暮らす方にも、初めて彦島を知る方にも、この島が歩んできた物語を身近に感じていただけたら幸いです。

よくある質問

『日本書紀』に「引島」として登場するのが最も古い記録です。潮流で対岸に「引っ張られて」見えたためという説や、「低い島(ヒクシマ)」が転じたという説があります。後に「引」が武事の忌み言葉とされ、「彦島」という表記に改められたと伝えられています。

昭和8年(1933年)3月20日、彦島町が下関市に編入されました。それ以前は明治22年(1889年)の村制施行で彦島村、大正10年(1921年)の町制施行で彦島町となっていました。

下関戦争に備えて彦島に4つの砲台が設置され、吉田松陰が視察に訪れたと伝えられています。また、講和交渉で彦島を租借地とする案が出ましたが、高杉晋作がこれを拒み、彦島は守られたとされています。

昭和11年(1936年)の閘門完成で徒歩による往来が可能になり、昭和23年(1948年)の関彦橋完成で自動車も通行できるようになりました。昭和50年(1975年)には彦島大橋(彦島有料道路)が完成し、平成17年(2005年)に無料開放されています。

主な引用元・参考資料

本記事は複数のWeb公開情報をもとに歴史の概要をまとめたものです。年代や経緯には複数の説がある場合があり、詳細については各出典や下関市の公式情報をご確認ください。

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