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この記事の要点

先に、全体像をつかむ

彦島や下関は、実は幾度となく世界史の舞台に立ってきたまちです。1895年の下関条約、韓国と結ぶ関釜フェリー、世界が認めた関門エリア、世界の物流を支える関門海峡、そして巌流島の武蔵が世界に伝えたもの。彦島・下関と世界とのつながりを、歴史から現在、そして未来まで一気にご紹介します。

  1. 世界史に刻まれた「下関条約」

    下関の地名は、実は世界史の教科書にも登場します。明治28年(1895年)4月17日、下関の割烹旅館・春帆楼(しゅんぱんろう)において、日清戦争の講和条約である「下関条約」(通称・馬関条…

  2. 韓国と下関を結ぶ、生きた国際航路「関釜フェリー」

    下関と世界のつながりは、過去の話だけではありません。今も現役で運航している国際航路が、下関港と韓国・釜山を結ぶ「関釜フェリー」です。

  3. 世界が認めた「関門エリア」

    下関・彦島が世界から評価されているのは、歴史や航路だけではありません。令和7年(2025年)、下関市・北九州市にまたがる「関門エリア」が、持続可能な観光地を認証する国際的な取り組み「G…

世界から見た下関・彦島とは?世界史の舞台から、今も続く国際的なつながりまで

夕暮れの関門海峡を航行する大型船と関門橋、世界とつながる海峡のイメージ
世界の物流が行き交う関門海峡(イメージ)

彦島や下関と聞くと、「地方の静かなまち」というイメージを持つ方も多いかもしれません。しかし実際には、彦島・下関は幾度となく世界史の舞台となり、今もなお世界とつながり続けている、知られざる国際的な一面を持つ地域です。

1895年に世界の歴史を動かした条約が結ばれたのも、韓国と日本を今日も結び続ける定期航路があるのも、世界が認める観光地としての評価を受けたのも、すべてこの下関・彦島の物語です。

今回は、彦島活性化推進協議会が、下関・彦島と世界とのつながりを、歴史・現在・そして未来という視点から紐解いていきます。

世界史に刻まれた「下関条約」

下関の地名は、実は世界史の教科書にも登場します。明治28年(1895年)4月17日、下関の割烹旅館・春帆楼(しゅんぱんろう)において、日清戦争の講和条約である「下関条約」(通称・馬関条約)が締結されました。

下関条約では、清(現在の中国)が朝鮮の独立を認め、台湾・澎湖諸島などを日本に割譲し、賠償金を支払うことなどが取り決められました。この条約は東アジアの勢力図を大きく塗り替え、日本が近代国家として国際社会に存在感を示す転機になったとされています。

世界史の授業で「Treaty of Shimonoseki」として学んだ方も少なくないでしょう。今、私たちが暮らすこのまちが、100年以上前から世界の歴史と結びついていたことを実感させる出来事です。

韓国と下関を結ぶ、生きた国際航路「関釜フェリー」

下関と世界のつながりは、過去の話だけではありません。今も現役で運航している国際航路が、下関港と韓国・釜山を結ぶ「関釜フェリー」です。

下関と釜山を結ぶ航路の歴史は古く、明治38年(1905年)に開設された「関釜連絡船」がその起源とされています。戦後、国交が途絶えていた時期を経て、昭和45年(1970年)に現在の関釜フェリーが就航。昭和58年(1983年)からは日韓共同運航による毎日運航が実現し、今日まで続いています。

下関港は、日本と韓国を結ぶ「海の玄関口」として、100年以上にわたり人や物を運び続けてきた場所なのです。

世界が認めた「関門エリア」

下関・彦島が世界から評価されているのは、歴史や航路だけではありません。令和7年(2025年)、下関市・北九州市にまたがる「関門エリア」が、持続可能な観光地を認証する国際的な取り組み「Green Destinations TOP100」に初めて選出されました。

Green Destinationsはオランダに本部を置く国際認証団体で、世界中の観光地の中から、環境保護や文化継承、地域社会への貢献などの基準で優れた取り組みを行う地域を選出しています。関門エリアは同年、「デスティネーション・マネジメント」部門で世界3位を獲得。この部門での世界TOP3入りは、日本で初めての快挙とされています。

関門橋や関門トンネルといった象徴的なインフラを生かした「インフラツーリズム」や、下関市・北九州市が連携して取り組んできた地域づくりが、世界基準で評価された結果です。

世界の物流を支える関門海峡

彦島のすぐそばを流れる関門海峡は、実は世界的に見ても重要な国際航路のひとつです。1日に行き交う船は約1,000隻、最も狭い早鞆瀬戸(はやともせと)を通過する船舶だけでも1日約440隻にのぼります。

国土交通省九州地方整備局の推計によれば、日本の港湾から輸出される年間貨物総量のおよそ13%(約3,600万トン)が、この関門海峡を通過しています。東アジア(韓国・中国)と日本、そして北米を結ぶコンテナ船の国際航路として、世界の物流を陰から支え続けているのです。

彦島は、まさにこの世界的な航路のすぐそばに位置するまちです。

彦島発、世界に知られる侍の物語

彦島自体も、世界に知られる物語の舞台です。宮本武蔵と佐々木小次郎の伝説的な決闘の地として知られる巌流島は、行政上「下関市大字彦島字船島」、つまり彦島の一部にあたります。

宮本武蔵が著した兵法書「五輪書」は、1974年に英語版が出版されて以来、アメリカのビジネス界で経営戦略の書として読み継がれる「隠れた名著」になっているといわれています。彦島の海に浮かぶ小さな島での決闘が、遠く海を越えたアメリカのビジネスパーソンにまで語り継がれているのです。

下関のふぐ、世界へ挑む

下関の名物「ふぐ」も、世界とつながる下関の顔のひとつです。令和5年(2023年)、これまでふぐの取り扱いが制限されていたシンガポールで、ふぐ食が全面解禁されました。これを受けて、下関のふぐを世界に発信しようという挑戦が始まっています。

JETRO(日本貿易振興機構)も、この動きを「下関から世界へ挑む」と紹介するなど、下関のふぐ食文化は今、新たな国際展開の局面を迎えています。

世界とつながる姉妹都市

下関市は、韓国・釜山広域市(昭和51年/1976年提携)、トルコ・イスタンブール市(昭和47年/1972年提携)をはじめ、ブラジル・サントス市、中国・青島市、アメリカ・ピッツバーグ市など、世界各地の都市と姉妹・友好都市の関係を結んでいます。

海峡のまちとして、古くから人・モノ・文化が行き交ってきた下関らしい、国際色豊かなつながりです。

彦島から、これからも世界へ——過去から未来へ

下関条約、関釜フェリー、Green Destinations TOP100、世界の物流を支える関門海峡、巌流島の武蔵、そして下関のふぐ。彦島・下関は、これほど多くの形で世界とつながってきたまちです。

彦島には、この国際色豊かな歴史を静かに支えてきた三菱重工業下関造船所もあります。大正3年(1914年)の創業から今日まで、彦島で造られた船は世界の海を渡ってきました。

そして今、彦島と北九州市を結ぶ「下関北九州道路」の計画が進んでいます。世界史の舞台となり、世界の航路を支え、世界に知られる物語を生んできたこの海峡に、また新しい「橋」が架かろうとしているのです。過去から積み重ねてきた世界とのつながりを、これからの時代へどうつなげていくか。彦島活性化推進協議会は、その挑戦を、地域の皆さまとともに歩んでいきます。

よくある質問

明治28年(1895年)、下関の春帆楼で締結された日清戦争の講和条約です。清が朝鮮の独立を認め、台湾などを日本に割譲することなどが取り決められ、世界史の教科書にも登場する重要な条約です。

はい。下関港と韓国・釜山を結ぶ関釜フェリーは、昭和45年(1970年)の就航以来、現在も運航を続けている国際定期航路です。昭和58年(1983年)からは日韓共同運航による毎日運航が行われています。

令和7年(2025年)、持続可能な観光地の国際認証「Green Destinations TOP100」に、山口県・福岡県内から初めて選出されました。同年のデスティネーション・マネジメント部門では世界3位を獲得しています。

巌流島での決闘で知られる宮本武蔵の兵法書「五輪書」が、1974年の英語版出版以降、アメリカのビジネス界で経営戦略書として読まれてきたためです。巌流島は行政上、彦島の一部(下関市大字彦島字船島)にあたります。

1日に行き交う船は約1,000隻、日本の港湾から輸出される年間貨物総量の約13%がこの海峡を通過するとされ、東アジアと日本、北米を結ぶ国際航路として世界の物流を支えています。

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