彦島発、日帰りで巡る下関観光モデルコース|唐戸市場・海響館・火の山公園
彦島は、関門海峡を挟んですぐ対岸に下関市街地が広がる、観光の拠点として恵まれた立地にあります。唐戸市場、海響館、火の山公園など、下関を代表する観光スポットは、彦島から車でわずか10〜20分ほど。彦島発、日帰りで下関観光を満喫できるモデルコースをご紹介します。
続きを読む関門海峡とともに歩んできた、この地域の歴史と暮らし。
彦島の港の朝仕事を描いたAI生成イメージ関門海峡と響灘に囲まれ、約2万2千人が暮らす下関市最南端の地域です。
造船・化学工業と、ふくの南風泊市場を中心とする水産業が地域を支えています。
古社や産業遺産を受け継ぎながら、新しい道路を地域の未来へどう生かすか考えています。
彦島は下関市の最南端、関門海峡と響灘に囲まれた面積約11.26平方キロメートルの島です。
現在は3本の橋で本土と結ばれ、住民約22,240人(令和7年2月末現在)が暮らしています。
沿岸部には市内でも有数の工業地帯が広がり、「ふく」で知られる南風泊(はえどまり)市場を中心に水産業も盛んな、工業と漁業がともに息づくまちです。

VIDEO / HIKOSHIMA
海と山、歴史と産業が交わる彦島の景色や暮らしを、PR動画でご紹介します。文章や写真だけでは伝えきれない、彦島の空気感をぜひ感じてください。
出典:下関市彦島地区PR動画(NINE WALLS制作)
関門海峡とともに生きてきたまちには、歴史・自然・産業それぞれに、彦島ならではの見どころがあります。

平治元年(1159年)創建と伝わる彦島八幡宮は、造船・漁業関係者から篤い崇敬を集めてきました。
安産の神「子安八幡」としても親しまれ、彦島の歴史をたどるうえで欠かせない場所のひとつです。
彦島八幡宮について詳しく見る宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で知られる巌流島は、彦島江の浦のすぐ沖に浮かぶ小さな無人島です。
住所は「下関市大字彦島字船島」。地理的にも歴史的にも彦島と深いつながりを持ち、彦島や関門海峡の歴史を知るうえで大切な場所として位置づけられています。
巌流島と彦島の歴史を詳しく見る

彦島西山町には、国内でも数少ない、ふぐを専門に扱う卸売市場「南風泊市場(はえどまりしじょう)」があります。
せり人と仲買人が布袋の中で指の感覚だけで価格を伝え合う「袋競り」が、今も夜明け前の午前3時台から続けられています。
南風泊市場について詳しく見る老の山公園は、関門海峡や響灘を見渡す約20万平方メートルの総合公園です。春には約500本の桜が咲き誇ります。
すぐそばには、パナマ運河と同じ仕組みを持つ「下関漁港閘門」もあります。世界最小クラスとされるパナマ運河式水門として知られています。
老の山公園と下関漁港閘門を詳しく見る

彦島には、大正3年(1914年)創業の三菱重工業下関造船所があります。第3・第4ドックは、日本遺産の構成文化財にも認定されました。
100年近く前に築かれたドックが、今も現役で稼働し続けていることが、彦島のものづくりの歴史の厚みを物語っています。
三菱重工業下関造船所について詳しく見る彦島はかつて「引島(ひきしま)」と呼ばれていました。源平合戦、下関戦争、造船業や化学工業の発展など、日本史の転換点にたびたび登場してきた島です。
元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは彦島が平家最後の拠点となり、平知盛が陣を構えたと伝わります。幕末には吉田松陰が視察に訪れ、高杉晋作は下関戦争の講和交渉で彦島の租借を退けました。明治以降は工場群が立ち並び、昭和には橋で本土とつながり、人々の暮らしを大きく変えていきました。
なぜ「彦島」という名前になったのか。江戸・明治・大正・昭和・平成・令和、それぞれの時代に何が起きたのか。彦島の歩みを一気に紐解く特集記事をご覧ください。
彦島の歴史を紐解く特集を読む
※掲載画像はイメージです。
壇ノ浦の戦い(1185年)で平家最後の拠点に。幕末には吉田松陰が視察に訪れ、高杉晋作は下関戦争の講和交渉で彦島の租借を退けた。
1914年、三菱重工業下関造船所が創業。工場群が立ち並び、彦島は「ものづくりのまち」へと変貌していった。
橋の開通で本土と結ばれ、人々の往来や暮らしが一変。造船・化学工業・水産業がまちを支える基幹産業に成長した。
人口減少や高齢化という課題に向き合いながら、2025年12月、下関北九州道路の都市計画が決定。彦島は新たな一歩を踏み出す。
江戸から令和まで、彦島は幾度となく歴史の転換点に立ってきました。そして今、下関北九州道路という新しい「橋」が、彦島の次の100年をつくろうとしています。過去の歩みを、未来への力に変えていくこと——それが、私たちの願いです。
LIFE / PLACE / MEMORY
海と山、暮らしと歴史が交わる彦島の風景と、地域で活動する人たちの姿をお届けします。
01 / 仕事AI生成イメージ夜明けの港で水揚げを進める人たち。海と仕事が隣り合う彦島の日常を描いています。
02 / 暮らしAI生成イメージ海へ続く坂道で、近所の人と言葉を交わす朝。名所だけではない暮らしの風景です。
03 / 人AI生成イメージ世代を越えて地図を囲み、暮らしや交通について意見を交わす場を描いています。
04 / 行事AI生成イメージ海辺の地域行事で、子どもと大人が一緒に過ごす夏のひとときを描いています。
05 / 産業AI生成イメージ造船・港湾の現場で働く人たち。産業の歴史を今へつなぐ仕事の風景です。

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彦島側には「仮称・迫町インターチェンジ」「仮称・南風泊港インターチェンジ」が計画されており、彦島は下関北九州道路の起点の一つとなります。